開戦前の二〇〇三年二月、国連の外相会合ですか、生物兵器の移動工場は七つもあると、イラストを入れて大々的に紹介しましたね。これについて、翌年の七月、情報源は不正確で間違っていた、私は失望し悔やんでいると述べています。また、翌年九月には、この演説について、人生の汚点になるであろうと。随分だれかと違いますね。人生の汚点になるであろう、そういうことまで言っている。
池田元久
次に構内の移動工場の中から電氣銅が三千五百十九枚出ております。それから事務所のすぐ通りの向い側の倉庫の中に亞鉛バラスト五百四箇、亞鉛地金大型百四十三枚、同小型二百四十一枚、電氣銅百四十枚、銅地金大型百二十箇、同じく中型百十五箇、小型五十八箇、これは倉庫の中にしまわれておりましたが、最初申しました防水溜や井戸の中にあつたものをすでに掘り出して、それを外に運んであつたのであります。
佐藤麻男
思いますが、あの工場の中にいけたところの電氣銅は佐世保地方管理部からS・S・Kが民業の切替えになつて引継いだ当時から、二十一年の四月一日当時から機械工場内の倉庫の中にあつたものを、安本の摘発等もあり、倉庫台帳に記載してない以上の数量があるので処理に困り、事務所のすぐ附近にある営繕倉庫の中に一應置いてあつたけれども、その営繕倉庫は盗難のおそれもあり、なお事務所のすぐ近くでもあり、もてあましたので、移動工場
佐藤麻男